3.11が訪れた日

追悼イベントには行かなかった。
代わりに家族でゆっくりと過ごした。

夕方、小腹のすいた相方が散歩&一杯を提案した。
焼き鳥が食べたい息子と3人で出かけた。
何件かチェックした店に裏切られ、駅前の繁華街に。

行こうと思っていたけれど、営業時間が合わなかった店の前を通りかかった時、
”Happy Hour”の文字が目に飛び込んできた。

なんだ、もうやってんじゃない!

開けたばかりの風情が漂う店内。
子どもづれの初めての客。

ジョッキと焼き鳥と、タタキと……。

私たちと店とマスターと、お互いが馴染み始めたころ
相方が言った。

ここの内装は◯◯◯に似てる。

ああ、もしかして…。

△△△が作ったの?

私はマスターに尋ねてみた。
答えはすぐに帰ってきた。
相方の勘は正しかった。

どういう知り合いなのか、と問われたような無いような。

ああ、そういえば今日は3.11。

彼とは震災直後にSNSで知り合った。
飢えた生き物が、極限でする狩りのように
真実の情報を求めて、インターネットを駆け巡った。
その中で、信頼できる人とそうで無い人、
真実を伝えるサイトとそうでないサイトを嗅ぎ分けてきた。

ストーリーは略すが、
同じ市内に住んでいる男女4人が、
親であるというそれだけの共通項で
子供のための放射能対策を求めて
市長に直談判した。
主に給食のことだったと思う。
結果、食材産地の徹底的な見直しと
その時にはあれが精一杯だった、給食の放射能検査が
実現した。

彼ね、スーツを着ていたんですよ、その時。

と、私はマスターに言った。

似合わないのにね、と私は笑った。
 
時折、こんな風にして3.11は訪れる。

東日本大震災として、だけでなく
原発事故の始まりとなった日として
記憶に焼きついているあの日。

3.11以来、1日も欠かさず続けていることがある。

祈りではなく
追悼ではなく
それはほんのささやかなことだ。

夜寝る前に

玄関の靴を

一足残らず揃えておく。

いざという時に
靴がすみやかに履けないために、足を怪我したり、
逃げ遅れることのないように。

暗い玄関にかがみこみ
一足、一足揃えていく
その仕草の度に
あの日、あの時間に
玄関に座っていた黄色い帽子の一年生や
大きく揺れていた3ナンバーの車、
波打つようだった電線などが
私の中に蘇る。

私は3.11を忘れたことはない。

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