前日に
たばあんが
女神を連れて来ると言ったので
今年のプラネタリーダンスは
なんだかすごいことになる
という予感がした。
前の日の夜
厩(うまや)、ならぬ「いただきます食堂」に行くと
マリアと
マリアの子どもがいた。
女神は
あろうことか
私をマリアと呼び
マリアとマリアは
抱き合って眠った。
夜明け前
海岸についた。
そこには
21年前と14年前
私のお腹から出てきた
人間たちがいた。
オープニングセレモニーを撮る人がいない
という
私の無茶振りに
急遽、駆けつけてくれたのだ。
その人たちは
確かに私のお腹から出てきたのだけれど
今はすっかり一人前の顔をして
こんな写真やら
あんな写真やら
を撮ってくれたので
なんだかもうすっかり
親くめ(お役目)は済んだような気がした。
今年のテーマは
「おわりとはじまり」。
テーマの中には
昨年、天に還った魂への
弔いが含まれていた。
クライマックスの
「アースラン」
その前にふたつ
やりたいことがあった。
ひとつは
「石のチャンティング」
もうひとつは
「カンタ・ティモール」の主題歌「星降る島」を
皆で歌うこと。
石のチャンティングは
太古の弔いはこんな風だったに違いない
という私の想像プラス
石が好きだった彼に
捧げる思いもあった。
海岸から、思い思いのオブジェを持ってきて
円の周囲に祭壇を作る際
目についた石を拾ってくださいと
お願いしてあった。
やり方はシンプルだ。
はじめに私が石を打ち鳴らしてリズムを作る
そこに、ひとりひとり順に加わっていく。
それだけのこと。
声を出してもいい。
20人くらいが奏でるリズムの輪。
リズムは生まれ、やがて終わる。
もう終わるころだな
と思った時
手の中の青い石が
二つに
割れた。
解釈は、ご自由に。
映画の中で「星降る島」を歌っていた青年
アレックスも昨年、天に還った。
7年前に茅ヶ崎コミュニティで
映画を上映した人が
アレックスが広田監督に伝えた言葉を
手向けてくれた。
「もしあなたの仲間が10人しかいなくて、
対するものが大きく巨大で1000人にも見えても、
あなたのやっていることがいのちに沿ったこと、
いのちが喜ぶことであれば、
なくなった人達がついていてくれるから、
どうか恐れないで続けてください」
そして「アースラン」
*プラネタリーダンスin Chigasaki開始から
ここまで曖昧にしてきてしまったが、
催し全体が「プラネタリーダンス」で
円を描いて走る行為自体は
「アースラン」という。
数々の祭壇が周囲を彩る中
私たちはそれぞれ
自分の意を宣り(意宣り)
三重の円を描いて
走り
歩き
止まって
また、走った。
最後にみんなで手の先を合わせ
空に放った時
光の珠が登っていくのが
見えたという
人もいる。
私は
呆れるくらい
肉体派で
そういうものは
わからない。
けれど
天が開いた
というイメージは
あった。
自分が何をやったかなんて
本当のところ
わからない。
けれど
あの場で
それぞれが
形にとらわれることなく
自由で
想像的で
かつ
ひとつだったことは
確かに
何かを
褒めたたえる行為であり、
私たち「ヒト」は
もっともっと
そういう行為で
この世界を
讃えるべきだ。
「べき」と言ってしまう。
だって「べき」だもん。
それが
世界のバランスを保つ
と、思う自由はある。
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